2018/12/20

分断が各地で繰り広げられている

パンクやハードコアを掲げながら主張のない表現というものはある。
「主張」とは何か。
ある人は「他人に変化することを求めること」と言った。
「主張」のある表現の根底には、「こうであるべきだ」という現状と理想とのギャップがある。そのギャップに対してフラストレーションのはけ口だったり、スタイルは様々だけれど表現を絵や音楽などのアートとしてアウトプットがある。
人それぞれ背景に持っているものは違うから時として主張がぶつかることはあるし、理解されずに誤解を抱いたまま争うこともあるだろう。その主張が本物なのか試されることもある。もし、誰にも批判されたこともないとしたら、その表現は主張のない表現と言えるのかもしれない。

SNSは主にtwitterを使うことが多いんだけど、ポリティクスの場になりすぎている。
白か黒か、正義か悪か、正しいのか間違っているのか、主張が繰り広げられる。
そして分断が各地で繰り広げられている。
カルチャー的なところでは世代間の断絶が決定的なものになろうとしている。
この国の危機に瀕しても戦うべき相手が何なのかさえ分かっていない。
ディストロに必要なものは繋げることだ。
古いものと新しいもの、はもちろんだけれど近しい表現はクロスオーバーしていくし、国と国、人と人も繋げるポジティブな作用を生み出す役割がある。
パンク/ハードコアなのかそうでないか、右なのか左なのか、
そんなことよりも
その人は話せる人間なのか、話せない人間なのか、
分断を押し進める人間なのか、繋がりを促す人間なのか、
そんなことのほうが大事な気がする。
主張があるかないか、その人が何に対してストラグルしているのか。