2021/05/31

真面目にB'zのこと書くぞ

 最近はPortraits Of Pastのことばっか考えている。というか、久々に再入荷して音聞きながら過去の映像もみたりしていたけど、やっぱりこのバンドが90年代に存在しているのがオーパーツ過ぎるとしか言えない。過去のインタビューでも最初の音源での録音はペダル無しでアンプと部屋鳴りの響きしか録音されていない。でもギターの音にはめちゃくちゃこだわったと書かれていて、その秘密というが凄く気になっている。コーラスじゃなくてギターをダブルトラックで録音したと書かれていたので、その感じも大事なのかもしれないな。意図的な部分と偶然の部分が合わさって奇跡が起こっているんだけど、それが2000年代激情の礎になっていると確信を持てる音。

B'zの稲葉さんと桜井さんの対談、がっちり全部聞いてしまった。

B'zのライブでも稲葉さんのMCって結構寒くて、トーク力そんな無いように思えるんだけど、すげー一般人っぽい感じで桜井さんにいろいろ聞いているのが面白い。ボーカリストってすげー大変だなーと他人事のように思う。

B'zはコロナ期になって大御所バンドらしく、過去映像を公開したり、大掛かりな配信ライブイベントを行ったりと、これまでやってこなかったことに挑戦している印象だけどここに来てスブスクも解禁、ということで、このブログでも度々B'zについて言及してきたのだが、このタイミングで一筆かけなければ嘘であろう。


自分が熱心にB'zを聴いていた時期が限られているのでだいぶ偏見が入っていそうだが、B'zの初期はTMN的デジタルなロック、BOØWY等にも流れる文脈として、アメリカの"ブルース感"を排除したクラブミュージック的〜それがTAK松本氏がルーツである70's、80'sのHM/HRへの愛を我慢できなくなってしまって初期とは全く逆のブルースへの回帰が起こる。その方向性の終着点が"The 7th Blues"。ここまでの流れは、よく言われるように洋楽パクリ/オマージュ的な手法が濃いのでコアな洋楽ファンからは批判されるところであるっぽいのは理解できるのだが、実はアルバムからのシングルカット曲が結構少ないのがB'zの特徴だと思っていた。例えば、「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」はめちゃくちゃヒットした。キッズのときは、シングル曲は次のアルバムされる、みたいな知識がなんとなくあったのに、「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」はアルバムに全然収録されなくてガッカリした記憶がある。しかしこうやってサブスクで時代毎の作品を追っていくと、「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」は1993年当時のB'zの流れとは明らかに異質だったかもしれない。これから『The 7th Blues』(1994年)で思いっきりアメリカンでブルージーなハードロックアルバムをリリースするタイミングで何故あんな曲をシングルカットする必要があったのか。当時のTVドラマ主題歌やCMタイアップという日本独自の文化がB'zの歴史におかしな違和感を与えているとも言えるし、しかしその文化によってB'zはお茶の間レベルで広く浸透し、多くの少年たちにロックの道への扉を開いたとも言える。歌謡ハードロックとバカにされる面はあるけれど、いまのオーバー30の人間にとってはそこから本物の洋楽(この呼び方もどうかと思うが、当時のことを思い出してあえて洋楽と言う)を聞くようになったリスナーも多いはず。

そんなこんなで、B'zはシングル曲がめちゃくちゃ強かったので、91年の「ALONE」、92年の「Blowin'」「Zero」、93年の「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」「裸足の女神」94年の「Don' Leave Me」「Motel」、95年の「ねがい」「love me, I love you」「LOVE PHANTOM」、これ全部がめちゃくちゃヒットしていた。それで95年はその絶頂期、しかもシングル曲がすべて収録されたアルバム『LOOSE』は個人的にはB'zの最高傑作だと思う。しかし、97年の『SURVIVE』も双璧を成す傑作でここの判断はいつも迷うんだけど、それまでの作品のかっこつけた(そしてアメリカンなイメージにひきづられていた)稲葉さんとは違って自分をさらけだした歌詞世界、そして日常から新しい世界へいつでもドライブできるというメッセージ性、これは当時のJ-POPが恋愛の歌ばかりだったのだけどB'zはだんだんそこからズレていって、もっと普遍的なテーマへ接近していくきっかけになったアルバムとも言えるとおもっている。それが、恋愛というテーマではない97年の『SURVIVE、99年の『Brotherhood』というアルバムにつながっている。この3作は、Mr.Childrenの『深海』『ボレロ』『Discovery』的な気もする。先日の対談の動画でも、恋愛に興味がなくなって男としてどう枯れていくかに興味がある、と桜井さんが言っていたのが印象的だった。

TAK松本氏のギタースタイルの変遷も、ワウやアーミーを駆使したフレーズが印象的な時期や、レスポールでのフロントピックアップ側を使用したトーンだったりもあるのだけれど、個人的には彼のギターの肝はそのサウンドよりもフレーズの組み立て方にあると思う。それはやっぱり小節跨ぎのトーンの置き方なのかなと思っていて、これは2000年代以降はだんだんなくなっていくんだけど、4小節、8小節、そのキリが良いところにフレーズを当てはめておらず縦横無尽に流れていくスタイルは、あんまりいない。ラルクのKenもちょっと近いものがあったかもしれないけど日本人にはほとんどいないギターのプレイスタイルだと思う。今の時代、ギターヒーロー的な存在は少ないのだけれど、サブスクで改めて時代毎にプレイスタイルを追っていくと彼の凄さ、アイデアの量には圧倒される。あと、あまり言われないことなんだけど、クリーントーン、クランチトーンでのバッキングでのカッティングの見事さ。目立たないところでもめちゃくちゃうまい。

この曲のバッキングめちゃ好きなのにライブでTAK弾いてねえじゃんとなった。

B'zのアルバムの話に戻そう。つまり、当時は彼らはシングル曲は売れるためにやってるんだと思った。だから僕はアルバムのほうが面白いと思っていた。で、ミニアルバムの『Friends II』の存在を忘れていた。コンセプチュアルな作品で冬な雰囲気がめちゃくちゃいい。「いつかのメリークリスマス」が有名なのは『Friends I』のほうなんだけど、AORなB'zを聴けるのはこの作品しかない。全体を覆う暗さは稲葉さんのソロ作のほうに近いかもしれないんだけど、この作品のギターのトーンは凄すぎる。そして、B'zの作品で僕が唯一、これは演奏のミスが収録されているのではないのか?と思う箇所が一箇所だけある....。これは永遠の謎だ。

98年に出た二枚のベストアルバム、『 Pleasure』『Treasure』はマジで最高だった。シングル曲がこれまできちんとアルバムに収録されなかったこともあり、これはこれで編集盤だがアルバム作品として成立している。ここで、B'zは過去のヒットシングルをすべて出しきり、完全メタルアルバム『Brotherhood』をリリース。Rage Against The Machine等からの影響も感じる、全作品の中でも最もヘヴィ、そしてももっともシンプルなバンド構成、ギターのオーバーダビングもめちゃくちゃ少なくて、このあたりヴァンヘイレン的であるのかもしれない。こういった挑戦ができたのも彼らがめちゃ売れて実績作れてたからなんだろうけど、音楽的な挑戦はこのあたりがピークだと思う。以降の作品は、音楽的な挑戦というよりは、だんだん変わらない感じになってしまって、面白みは少なくなっていく。小さなところでもマイナーチェンジや変化はあるんだけど、どうしても刺激的ではなくなっていってた。なんか精巧なB'zのカバーバンドみたいな感じになっていってるような...。

でも、2015年のEPIC DAYのツアーのライブは良かったけどなぁ。なんだかなーって感じなので、2019年の『NEW LOVE』ちゃんと聞いてみようかな。






SNSのバズに乗っていくパンクバンドとレーベル

 


なんとなくトュイッターのRTに乗ってしまったけど、これはRTするべきじゃなかったのかもしれないと思っている。


少し前にSNSで話題になって、その後Epitaphと契約を発表したっていうThe Linda Lindasは確かに良いバンドかもしれないけれど、SNSでバズり(それは音楽ではなくポリティカルな話題でのバズであり)そこにEpitaphというパンクレーベルが乗っかり、そして自分も、日本人のリスナーも乗っかっていった。でももっとリアルな現場で同じように差別や偏見と戦っていて、音楽的な表現力もあって、各地のローカルシーンと繋がりながら独自の活動しているバンドはもっとたくさんいる。この一連の盛り上がりを見ていると果たしてこれでいいのか(いや、自分の向いている方向はここじゃない)と思えてきた。Epitaphの契約が、このSNSバズの前に決まっていたのか、後だったのかはわからないけれど、発表されたのは後なのでやっぱりEpitaphのジャッジの基準にSNSのRT数、いいね数が影響してしまっていることは確かなんだと思う。


そして、Epitaphの契約を断って解散していったG.L.O.S.S.というバンドのことを思い出したりもする。あのバンドのステートメントのほうが誠実だったかもしれない。

https://arsemard.tumblr.com/post/150294983982/%E7%96%91%E5%95%8F%E3%81%AB%E6%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E4%BA%BA%E9%81%94%E3%81%B8

まぁそれは自分の性格の悪さがそう思わせているのかもしれない、という面はある。


ディストロ、レコード店というのは流通を司るわけだけど、今やっていること、これってすごく古臭くオーガニックなやり方だけれど、僕の好きなレコード屋は音楽とレコードを丁寧に扱っているし、その「届け方」というものを特別なものにしている。これってSNSのバズ、つまりRT数やいいね数がものを言うような世界と、全く別の世界を作っていくという流れにあると思っている。


僕にも政治的な思想はある。けれど、どんな世界を作ることに時間を作っていきたいかという問いとレコード/ディストロに関わることはセットになっていて、SNSのバズ(いまではそれが、物事を面白くなくしている、単一的な指標になっている)によって動かされる世界は僕の目指しているところではない。政治的に正しいからといって、その音楽が良い音楽だってことには絶対にしちゃいけない。


まぁそんなこと気にせず若くてかわいい女の子がバンドやってるってことでいいじゃんと思うかもしれないけれど、そういう意味でいうと僕はBABYMETALにだってむかついてる。(音楽的にめちゃくちゃクオリティ高いのでマシですが)


SNSは人を刺激するツールだ。欲望や、嫉妬や、憎しみを刺激し、増幅させる。それが誰の金になっているのかを真剣に考えないといけない。






2021/05/13

東京オリンピックの行方(予想A: 開催実現パターン)

 オリンピックがやるの?やらないの?と今になってもはっきりしないんだけど、本当に実現するパターンと、やっぱりやりませんパターンがあってどちらの可能性もまだあるなーと思うのが正直なところ。


出来レース? 73億円「五輪アプリ」の入札期限がわずか4日半、応札1者のみ 公正性に疑問の声

https://www.tokyo-np.co.jp/article/97648

こういうニュース入ってくる度に「やるつもりなんだ」って思うんだけどたぶん品質ガバガバなアプリが出来上がるんだろうなーという気しかしない。逆に見てみたい気もするが。オリンピック開催って7月なんだっていうのを最近知って、たぶんコロナじゃなくてもグダグダになるだろうなって思うのは、どう考えても日本の上のほうにいる人たちって優秀じゃないからなんだよな。

7月、オリンピック開催、不参加国多数だが開催したことによりIOCへの賠償は回避した。

8月、都内を中心に感染が広がりはじめる新種のウイルス「トーキョーウイルス」。高齢者を中心に高い感染力と死亡率を誇り既存のワクチンが効かない。東京医療崩壊。
再度の緊急事態宣言が発令されるが、既に信用を失った政府に従う店舗は少なく飲食店の5割は営業を続行、死亡者が50万を超え東京はもはや収拾不可能な状況へ。

9月、それでも死亡率の低い若者たちは変わらず外出を続けていくが実は彼らはインターネットでゆるく連帯した反体制組織であることが明らかになる。当初メディアは批判的であったが、反体制組織は現状を招いた責任は政府にあるとして反論、彼らのロジカルな主張は若い世代を中心に支持を集め、ウイルスを拡散することで老人中心主義を打倒せよという大きな流れが生まれていく。

10月、優秀なトップが率いる中国がトーキョーウイルスのワクチン開発に成功。それもそのはず、反体制組織を裏で支援していたのは中国だったのだ。既に国会議員にも感染が広がっていく中で、ワクチン欲しさに反体制側に寝返る議員が続出、彼らのロビー活動により世論も変化し反体制組織は合法な政治結社として認められることになる。

11月、現政権は無理やり解散となり、選挙の結果、中国の支援を受けた若者たちの新党が与党となる。彼らは優秀な頭脳と実行力を持ち、次々と法律を改正、行政のあり方を見直し、日本経済を立て直していく。一方で社会的弱者は容赦なく切り捨て、無駄なものであるとして社会保障制度は大幅に縮小、稼ぐ力のないものはのたれ死ぬしかないという完全な弱肉強食の世界が出来上がっていく。日本はどうなってしまうのか....!!!

(全部嘘です)


snagの新しいアルバム、こちらも3LA共同リリースに名前を連ねています。彼らの売れなさそうなScreamoこそ本物だと思っているからね。


めちゃいいんだけどニューリリースが出ているわけではない。LP欲しいなと思っているんだけど出るのかな。MVの色合いがとても美しい。


Hiatus Kaiyoteちゃんと聴いたことなかったけどこういう感じだったのか。
ライブやばそうだな。


Twolowで詰まったときはTADに戻る。どっちもTだし。
マジ分析するとコードに対してのTADの歌メロディの外し方は狙っているというよりは天然なんだろうけれど、それが彼のシグネイチャーになっていると思う。

音の外し方みたいな話でいえばカネコアヤノのほうは意図的にトーンの外し方で、ここまでコントロールされていると執念を感じる。ただこのMVは天才的だと思った。

「完璧とは、他に足すべきものがない状態ではなく、他に引くべきものがない状態である」

と言ったのはサンテグジュペリだが、何もしていない映像だが曲の内容を最も体現している演出なのではないだろうか。


ぜんぜん意味がわからない。