書く書く言っておいて書かないのが自分のスタイルになりつつあるんだけど、
(note書いてない)
他人の期待なんかに応えちゃいけないんだよなというのがなんとなくある。
期待に応えて評価されると今度はその人の期待にそえないと評価落ちるわけでそういうのから距離をとったほうが幸せになれるのではないかという説。つまりは逸脱。(無理やり)
Orchidの名盤、通称"Gatefold" 歌詞翻訳&解説 #1
https://note.com/3la/n/n63f0523a0352
だから、なぜOrchidの1曲目には「8ビートもブラストビートも必要なかったのか」ってところからその後の激情の思想が体系化されたようにも思える。2000年代の中盤、ヨーロッパの激情が確立されていった流れの土台にあったのはUSの激情で、当然Orchidの影響も大きい。DaitroはOrchidとは全然違うスタイルになっていくんだけど、ある意味Orchidのやってたことをもっとも理解していたんだじゃないのかと。すなわち逸脱。そして賛否両論。
killieの『殺しの呪文』もある意味逸脱。だけどkillieのリスナーでもその美学をわかっていないと伝わらない。究極的には他人への興味、他人を理解しようという姿勢。他人なんか理解できるはずはないんだけど、理解することを諦めない姿勢。この精神のバランスが難しい。
他人を理解できると思っている人は自分も理解してもらえるはずだと思っているから危ない。
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